東方出世薬師 瑠璃光如来・座像(国指定重要文化財)
出世薬師如来(後向き薬師)
大正14年国宝指定・昭和25年重要文化財指定替
薬 師如来は、我々の心と身体を治すという12の願を持って現れた仏様です。本来は、脇侍に日光菩薩・月光菩薩・四天王・十二神将を伴いますが、当山では独尊 仏でした。伝教大師(最澄)作と伝えられるが、定かでない。平安時代、中津川を通る道に東山道が存在し、そこを通る旅人の安全を祈って中津川と阿智村にそ れぞれ薬師如来を造立したと伝えられている。(後日談、仏師 故西村公朝師によると、最澄より50年後の作で、平等院の阿弥陀様の手法で作られていると鑑 定された。)
弘仁年間(平安時代)当時疫病で苦しむ人々を救うため、薬師信仰が盛んに行わ れた。歴史上、源平の戦い後、落ち武者が仏像を持って逃げた形跡があり、東海道・北陸道には、その時代の名残が多く残る。中山道を下った落ち武者は少な く、歴史的仏像は限られている。
当山の薬師如来は、「一木寄木造り」平安期の定朝様式がよく表わされており、制作当時は彩色されていたと思われ、首のところに当時の名残が残る。江戸時代は、中山道沿いのお堂に祭られて、多くの信者を集めていました。
出 世薬師といわれる由来は、当地方から大望を抱いて出ていく人が、願をかけ「お札」「お守り」を持って行くと、必ず出世すると言い伝えられている。現在で は、進学・就職などを祈願する人が多くまた、祈願して本当に出世された方が、毎年欠かさず信仰されている。
後 向き薬師の由来は、江戸時代中山道を通る早馬が、薬師如来の前を通ると落馬することから、霊験あらたかな如来を街道を背に後ろ向きにして、祟りを逃れよう としたことが発端となっている。参勤交代に伴う中山道の拡張工事で、現在の場所に移転され、現在も市内に向かって後ろ向きになっていることから、後向き薬 師の名は残っている。そして、現在では、後から後押ししてくれる如来として信仰を集めています。